お寿司は日本発祥じゃない⁉ 日本人の知らないお寿司の歴史!

お寿司だいすき!!

やっぱり日本の料理と言えばお寿司よね

海外からも日本のお寿司を食べに
やってくる人もいるみたいだね

だけど、お寿司は実は
日本のものじゃないって知ってた?

そうだったの?
全然知らなかったわ

それじゃあ今日は日本人が意外と知らない
お寿司の歴史を紹介するよ

寿司の発祥は東南アジア⁉

みなさんはお寿司が誕生したのはいつ頃だと思いますか?

江戸時代? 鎌倉時代? 実はもっともっと前。

お寿司の原型は縄文時代までさかのぼると言われているんです!

そんな頃にも料理があったの?

料理といっても現代のようなものではなくて、保存がきくように発酵させておいたものです。

当時は狩猟を中心にして食生活が成り立っていました。

だから狩りがうまくいかなかった場合に備えて肉や魚を保存しておく必要がありました。

冷蔵庫もない時代に
どうやって食品を保存していたんだろう?

当時はお米を発酵させて魚を保存していました。

ただしお米は食べられなくなってしまうほど発酵が進みます。

保存している魚を食べるときには、お米は捨てていたようです。

お寿司の元になったのにお米を捨ててしまうなんて…
もったいないわ

保存のためだから仕方ないね

この保存方法は「なれずし」と言って、東南アジアで発生したと言われています。

これは東南アジアでは紀元前3世紀頃から使われていた保存法。

魚に塩と米を混ぜて、数か月~数年かけて発酵させる方法です。

このような方法で発酵させると独特の旨味が出てきます。

普通に想像するお寿司とは違うけど
おいしそうだわ!

東南アジアや中国から稲作が伝わってきたときに、いっしょにやってきたのかもしれませんね。

中世日本のお寿司

縄文時代から時代は進み、室町時代

この時代になると発酵させる時間を短くして、ご飯も食べるようになりました。

やっぱりもったいないと思ったのかしらね

なれずしは数か月〜数年は発酵させていました。

しかし室町時代に入ると5日〜2週間くらいの発酵で留めています。

保存法というよりは調理法に近くなっていますね。

味もすっぱさは控えめになっているようです。

今のお寿司は酢飯を使うから
だんだん近くなっていく様子がわかるね

このような室町時代のお寿司は「なまなれ」と呼ばれています。

なれ」とは発酵のこと。

発酵しているけれど生々しい魚のにおいや形が残っていることから「なまなれ」と言われているわけです。

発酵の時間が短いから
腐りやすくなっているかもね

お寿司が広く知られるようになったのはこの時代からだそうです。

しかし、現代のような握り寿司の形ではありません。

寿司桶に塩を振った魚とご飯を交互に挟んで、重石をする方法で作られていました。

今でいう押し寿司箱寿司の原型だったのかもしれませんね。

押し寿司。好き嫌いは分かれがち。

ちなみに「すし」は「すっぱい」から来ているみたいだよ

なれ寿司から江戸前寿司へ

これまでの発酵寿司からどうやって
今の新鮮なお寿司になったのかしら

江戸時代になると庶民にもお寿司が浸透します。

この頃になるとご飯にお酢を混ぜるようになり、発酵するまで待たずに食べられるお寿司が開発されました。

これは「早寿司」と呼ばれていて、今でいうファストフードのようなものでした。

ただし、この早寿司は庶民の間での流行でした。

伝統と格式を重んじる天皇や将軍は江戸時代でもなまなれを食べていたようです。

新しいお寿司が生まれたからって
すぐに移り変わるわけじゃないのね

どうしてお寿司が
お江戸で広まったんだろう?

江戸の町が急速に発展したことで多くの人々は忙しく働くことになりました。

そこで手っ取り早く食事をする必要があったため、屋台で早寿司が食べられるようになりました。

これはもう現代のお寿司と同じものなの?

江戸時代はまだネタは刺身ではありませんでした。

江戸末期には握り寿司が誕生しますが、当時はおにぎりくらいの大きさのお寿司を2つに切り分けて食べていました。

現在も「1皿に2貫」が基本なのは当時の名残です。

「1皿に2貫」にはそんな秘密があったのね!
初めて知ったわ!

今のお寿司と比べると
ずいぶん大きいものだったんだね

近現代に入ってからの寿司の変化

明治期になるとお寿司のネタに刺身が使われるようになりました。

それまでは流通や保存の問題があって生の魚を調理することは難しいものでした。

しかし、明治2年に横浜で日本初の氷屋ができました。

この氷屋ができたことで人工的に氷をつくるようになりました。

魚を凍らせて輸送できるように
技術が進歩したんだね

これによって魚を発酵させなくても寿司に使うことができるようになりました。

私たちがイメージする握り寿司の形はこの頃に確立したものです。

さらに大正時代に入ると電気冷蔵庫が登場します。

寿司屋で扱うネタもどんどん増え、大きさも小さくなっていきます。

これで今のお寿司になったのね!

それだけではありません。
もう一つ大事なことがあります。

それは全国展開です。

江戸で発達した当時のお寿司は江戸の街でないと食べられないものだったのです。

どうやって全国各地へ広まったんだろう?

スマホもない時代だし
口コミで広がったんじゃないかしら

大正12年に歴史的な大災害が発生します。

2万人もの死者や行方不明者を出した関東大震災です。

震災の影響で東京は壊滅的な被害を受け、人々は散り散りになりました。

そこには東京の寿司職人もいました。

職人たちは東京から逃れて故郷へ帰る人も多かったようです。

彼らが帰り着いた場所で寿司屋を始めたことで、寿司が全国で食べられるようになりました。

まとめ

・2000年以上前の寿司は魚と米を発酵させたものだった

・発酵寿司は東南アジアで発展した料理法

・現在の姿になったのは江戸時代~明治時代頃

お寿司は日本で生まれたものではないけれど
長い歴史のある料理だったんだね

元々は東南アジアのものだけど
日本で育ったから立派な日本食と言ってもよさそうだわ

たまには遠い東南アジアに思いを馳せながら
お寿司を食べるのも良いかもね

じゃあ今日はタマちゃんのおごりで
回転ずしに行きましょう!

ええ~!!

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